あの日から1年経ちました

NPOサプライズ

2009年03月15日 10:44





2008年3月7日影奉仕活動が始まった 一番最初の日を思い出す たった6人が集まり 天城の山のゴミを拾おうと動き出した かたつむりさん 浅田さん 天城声くん 富岡君 ビロ そして飯倉の6人 

その日に沼津で「僕は天城まで行けないけど地元で一緒に拾うよ」と言ってくれたのが 岸本さん 「狩野川で拾うよ~」と言ってくれたのが高野さん  その日の記事を見ると本当に今思えば不思議な事なんだって思います

http://kiyo.i-ra.jp/e22109.html
(影奉仕を始めるぞ記事)

当時 すでに色々な形でゴミ拾いは行われていました 僕自身浄蓮の滝付近で毎日清掃活動をしていたけど 一人でやっていた それが形になった 天城声があの調子でガンガンくるので(笑) それに乗せられた形でスタートした感じ かたつむりさんという地元の先輩がいたからスタートできた 今でも思い出す ビロには「最初にこの場所にいろ!」と言って 半ば強引に天城まで越させた(笑)  

この時点で実はカミングアウトするが「予感」がしていたのだ それは何故か 岸本さんと高野さんが同じ空のしたという形で一緒に行動をしてくれるという部分が 何かの形に薄っすらと見えたからである そう あの時思った事は「別に一箇所に集まらなくてもいいじゃない?」という 新しい清掃活動の形だった 清掃活動というと一箇所に集まりみんなでやるというスタイルが「当たり前」の世界 しかし集まらなければそれが出来ない なぜなら「一人は弱いから」  でも同じ空の下 誰かがいると思えば行動できるんじゃないかな?とアンテナが張ったんだ だからビロを天城まで強引に呼んだ スタートにいろと そして元々僕と岸本さん 高野さんは このイーラパークというブログで知り合った関係だった ネットで繋がった形の人々なのだが ネットのネガティブな部分はこの時点でまったく感じていなかった どちらかというと 「ポジティブにネットを使う」という気持ちのほうが大きかった

2回目の影奉仕を実施した時点で僕はこの動きを「ちゃんとした形」にしなくてはいけないのではないかと感じた そう 要するに「NPO」という形である 清掃活動のNPOは世の中にいくらでもある でも形が今までとは待ったく違ったものを作れると確信したのです その日の記事が物語っていたんです 静岡であびさんが同じ空の下という形で参加してくれた たんたんやじゅりんさんも参加してくれた 僕はお会いした事の無い方とも共に活動をしているんだって感じたんです オンラインで繋がり オフラインで清掃活動を 別々の場所で こんな驚きはブログを今まで書いていて感じたことの無い感覚でした

http://kage.i-ra.jp/e23621.html

しるばも反応してくれた 本当にたくさんの人が反応をしてくれて この動きが活発になる予感だらけ そうなのです ただブログを書いているだけならばどこで書いても一緒だけどここで書く「意味」を見つけた感じがした瞬間でした なぜこんなにこのポータルに対して考えたのかというと 話は少しだけさかのぼりますが 「イーラパークをどうにかしようよ」ってみんなで頑張っていた頃があったからです だってここのブログ今だから人がたくさんいるけど 当時はMIXIの小さなコミュニティーにも及ばない本当に小さな小さなポータルだったから・・・(ごめん しるば~神ちゃん^^:::) 

色々な物が色々混ざり合って何かが出来るのは必ずそこに「場」があるから その場がイーラで そこに集った人間で生み出したもの それが影奉仕の一番最初の形だったんだと今改めて感じている 懐かしい話だな





続く・・・・・・・・


NPOサプライズ 代表理事 飯倉清太

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